その九 泉州へ

◆◆中国旅行◆◆

◆二日目 其の九 「泉州へ向かう道」

その後、バスは泉州へ向かった。ご飯はまだ食べていない。泉州に着いたら食べる予定である。外を見ると、なにか文字をスプレー書きしてある壁にやたらと出くわした。よくよく見ると、「金銅集団330−230−1176」と書いてある。

(つд⊂)エーン

まさか日本の外に出したくないオリジナル文化の一つ、「ゾク文化」が中国にブッチ切りで輸入されてしまったのでしょうか。・・・ん!?中国?そうだ。ここは中国!二次大戦後、チベットやら文化大革命やらで一億人たと一説で言われている中国!

・・・そんな人命軽視の中国で旭日旗掲げてパラリラやると、文句なしに当局に連行され強制労働だな・・・と、言う事はゾクとは違うか。ちなみにこのページのバックに使わしていただいている毛先生、核戦争が非常に現実味を帯びていた1957年、冷戦真っ只中のモスクワ会議で、核戦争の際には、中国人口の半分が死んでも半分は生き残るから、毛だけにモウマンタイ(無問題)といっている(一部脚色あり)。毛先生、毛型が黒電話そっくりな毛先生。モシモシ?そういう問題ではない気がします。

その後も観察を続けた結果、どうやら商売やっている人が、看板作る宣伝費が無いので、安上がりに勝手に他人の家の壁にスプレーで書いているらしい事が判明。330−230−1176という謎の暗号は電話の連絡先のようだ。とりあえずトイレの落書きを真っ先に連想してしまう日本よりはスプレー代が無駄になってません。偉い偉・・・偉くない偉くない。落書きには変わりません。沢山書いてあるので、壁のところの住民の人はよく我慢しているなと思った。ただ単に消すのもお金がかかるのでそのままにしているだけかもしれない。いたちごっこは落書きに付随する永遠のテーマである。いずれにせよ商売熱心だ。商いの倫理はどこかへいっちゃってますが。

泉州に着いた。
自転車が多い。お店も沢山、道沿いに並んでいる。ん?

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

便器だけ売っている店があった。

◆◆中国旅行◆◆

◆二日目 其の十 「昼ごはん」

バスは料理屋の前に止まり、いよいよ昼御飯。
時刻は2時を過ぎている。ああ、最初の窯跡さえ水没していることがわかっていれば、こんなに遅くなることは無かった。おのれ男ガイド。食べ物の恨み忘れるべからず。ちなみに今まで霊が取り付いただの散々いってきたのはこの昼ごはんの遅れが大きい。取り敢えず店の中に入る。円卓にすわり、出てきた料理を見てみる。

ゲエェーッ!?昨日の夕ご飯と大して変わってないものが出てきた!

場所も店も違うのに示し合わせていないか?あ。ゆでた菜っ葉がまたある。もう飽きた・・・なんて言ってはいけない。このゆでた菜っ葉。ぶっちゃけ旅行の最後まで毎食ごとに出続けた唯一違和感無く食べられる(←重要)定番メニューである。その事は、この頃まだ食事に淡い期待をいだいていた我々の内、誰もが予想しない出来事であった。

・・・食事はまたほとんど会話なし。
ポツリポツリと話す程度で、ここまで会話が無いとなにか不気味である。まるで禅寺の如き食卓。私自身あんまり話す方ではない。 ・・・それにしても普段喋る人々も喋らないのは何故であるか。思慮の末、会話が無い理由を二つばかし仮説として挙げてみた。

先ずひとつ、まだみんな打ち解けていないから。
これは良くある事。

そして2つめ、円卓。
なぜ円卓かと言うと距離。会話は日本の場合普通、日常で座って話すときには四角い机に座る。其のとき大体距離にして2人向かい合わせで1m弱の場合がほとんどである。だが円卓の場合、距離は2m強はある。この距離が曲者で、人間は距離に応じてテリトリーを持っているらしく、どの距離かで関係ない人か親密な人か無意識のうちに判断するそう。中国人は円卓で対面の人としゃべるのかもしれないが、このことから、取り敢えず私たちは円卓に座り、仲良く卓を囲んでいても、横の人としゃべるだけで、向こう側の人とは目が合ったらそらす、という風になってしまったのかも。続く。

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