二日目。朝モーニングコールで起こされる。中国語で電話がかかってくる為、早口で、しかも何を言っているかわからないうちに切れる。単語が聞き取れないので、中国語独特のファンファンしたリズムだけが耳に残る。
再現
リーンリーン。
がちゃ。
私 :「もしもし?」
ホテル側 :「ファンファンファンファンファンファンファンファン!!」ガチャ!!プーップーッ(勝手に切れた音)。
私 :「??????」
最後に乱暴に電話を切られた為、なんだかいつもに増して寝覚めが悪い。ふつう客が切るまで待つと思うんだが…??どんどん五つ星のブランドが崩れていくように感じるが、多分気のせい。理由は、なんと言ってもここは大統領も泊まる五つ星ホテルだからである。素晴らしいホテルに違いないからである。…たとえちょっと接客が微妙でも(´Д`)
しかし、朝ごはんのバイキングはおいしかった。中でもおかゆがうまい。しかも三種類もある。三種類あるのはここだけでなく、どこへ泊まっても最低2種類はおかゆがあった。あれだけは中国で食べた料理の中でもう一回食べたい一品である。でもみた限り私以外は誰も食っていなかった。みんな余りおいしくないご飯とか食ってる。勿体無い…。食べたらバスで出発した。今日は窯跡巡りがメインだ。着くまで寝てようとおもい、私は寝た。
そして、出発してしばらくたった頃、目覚めた・・・ら凄かった。
少しの間寝ぼけていたのだが、周りの風景を見たら眠気は吹き飛んだ。
アモイの町は何処へやら、コンクリートとレンガ剥き出しのスラム街のような建物が道にへばりつくように並んでいる。中には作りかけで放置されたようなコンクリートの骨組みだけの建物まである。
だが、一番驚いたのは今現在バスが走っている道だった。一面の沼。前日の雨のせいで、幅は優に100mほどある道路が、粘土質の砂利と水を加えてただかき混ぜただけのようなどろどろとした、茶色の沼に変化しているのである。それはずっと途切れる事無くつづいている。バスはどうにか、比較的固まっているところを進んでいるが、タイヤは20cm以上めり込んでおり、いつはまってしまうかわからない。さらに普段はめったにこんな大型のバスが通らない所らしく、ほかの普通の自動車や小型のバスとすれ違う際に、かなり危険な距離まで近づいて通る。あと3cmで接触と言うのもあった。其の度に普段信心深くない私が、「神様・・・どうか泥の中バスを押す羽目になるのだけはならないでください・・・。」とか、すれ違う度に向こうの車の人たちが鬼気迫る表情でこちらを睨みつけてくるので、(今考えれば向こうもぶつからないかと冷や冷やしていたのだろう)「どうかぶつかって傷がついたとかのいちゃもん付け合いでへんなことになりませんように・・・。」とか必死に神に祈っていた。
一時間ぐらいたった。我が祈りがにわかに聞き入れられたかどうかは知らないが、どうにかその場を切り抜け、バスは走り去る。帰りもあの道通る…のか…な?そんなこんなで山道に入っていき、いよいよ目的地の窯跡「汀渓窯(ていけいよう)」にたどり着く。だが、この2日目からカルチャーギャップの嵐が本格的に我々を襲うなどとはこの時はしらなかったわけで…。
今思えば、この二日目から真の旅が始まったのであった。
汀渓窯に着き、バスから降りた私は軽い便意を催していた(小である)。トイレに行かなくては。
ガイドの人に聞くと、階段を上がったところに有るらしい。確かこのときS先生と一緒だったような気がする。傾斜角30度以上はある石の階段を上り、左のほうを見るとトイレはあった。外観はコンクリートで出来ており、大きさは公園とかにある公衆便所と同じ大きさだった。だが、中身がまるで違うことなど誰が予想したであろうか・・・。
中に入ると先ず奇妙な悪臭が鼻をつき(大便の其れである。)、其の先に目を移してみると、高さ60cm程の低い壁で仕切られた奇妙な空間があった。ドアはついていない。「まさか・・・。」と思い覗いてみると、しゃがみこみ式の便器があり(勿論水洗などという代物ではない)、そこに鎮座ましましたる下の御体あり。実に見事な一本である。
(゜д゜)
絶句すること数秒の間に、さまざまな疑問が走馬灯の様にグルグルと頭を回る。
「二回してる…。気にならないのかな…?あの壁の低さは一体…。しかもあの入り口の位置だと○○○してるとこがモロ見えるんですけど・・・頭隠して尻隠さず・・・いや、壁が低いから頭も見える・・・えっと、せめて下に落とそうよ。ボットン穴があるんだし・・・。」
「ピィーン!ガラガラガラ-!」私の頭の中で、何かが音を立てて崩れ去った!
これがカルチャーショックというものであろうか。これぞ外国。このような経験は久しぶりで、夏の間半分引きこもり状態であった私の精神に新鮮な空気を与えてくれた。たかが野グソ一本、侮るなかれ。「西の大陸国家中国では、トイレ事情がどうもイっちゃってるようだ」というまことしやかな伝説は本当だった。実に有意義な体験であった。多分近い未来、この経験が重大な局面に於いて何らかの意義のある決定をもたらすに違いない。それにしても、あんなに時の流れるのが遅く感じられたことは無かった。あのときの光景はいまだ脳裏に焼きついており、時間のたつのを本当に忘れたくらいである…。続く。